早かったですね。

危篤のニュースが流れてから、わずか2日でした。"The Queen of Soul(ソウルの女王)" Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)、76歳でした。

ソウルにゴスペルフィーリングを持ち込んだアレサは、ゴスペルをメジャーにした立役者の一人でした。父親が牧師さんで幼い頃から教会でゴスペルを歌って育った彼女が、まだ1960年代の差別が大きかったアメリカの中で大きな成功を成し遂げたことは、黒人女性の希望の象徴でした。

晩年に、オバマ大統領の前で歌ったステージの映像がありますが圧巻です。とても70歳代半ばの声とは思えない声量です。何ともいえないオーラを感じます。



アレサといえば、Natural Woman以外にも、RespectやChain Of Foolsなど代表曲はいろいろありますが、ゴスペルをやる方で好きな曲に上げられるのはやはりこちらですよね。



あえて、映画「ブルース・ブラザーズ」の方をチョイスしてみました。有名なこのシーン、個人的に過去何百回と拝見しましたが、飽きない映像です。こんな強烈に歌唱力のある奥さんなんてそうそういないと思いつつ...

アレサが残してくれた歌声は、私たちの心の中で生き続けることでしょう。ゴスペルという音楽に陽を当ててくれた功労者として、Respectされ続けることと存じます。

ご冥福をお祈りします。

by Shinshi


ps.ちょうど4年前に、アレサの生い立ちなどを追ったブログを書いてましたので、よろしければぜひご参考になさってください。

アレサ・フランクリンについて2

アレサ・フランクリンについて3

アレサ・フランクリンについて4
※偶然ですが、アレサの命日と同じ日に、ブログを書いておりました。


Tim Bowman Jrについて

2018年01月19日
なんとBillboard Gospel Album Chartが、本日0時現在も更新されていないまさかの状況です。集計に苦労しているのでしょうか。それとも担当者がインフルエンザで休んでいるのでしょうか(苦笑)。

つべこべ言っても何も出てこないので、今日は趣旨を変えて、注目のアーティストをご紹介したいと存じます。

最近あまりチャートに上がってこないのですが、よく私が聴いているアーティストの一人、Tim Bowman Jrです。意外とたくさんいい曲を出してます。有名なのはこちら。

気分が高まっていきます。よく作り込まれてます。ゴスペルにしては珍しく、YouでもHeでもなく、"I'm Good"というテーマです。私は神さまが守ってくれるからどんなことがあっても大丈夫、という曲です。
この曲が入っている"Listen"というアルバムは昨年のグラミー賞でノミネートされてます。私も好きなアルバムの一つです。

次にこちら。



なかなか爽快なナンバーで、神さまがきっとやってくれるさ、という曲です。あのWinans FamilyのVicky Winansとのデュエットです。なんとVickyは彼の叔母にあたるそうです。そう、彼はWinans Familyの一族なのです。Timのお父さんも有名なJazzギタリストですね。

ちなみにアップテンポだけでなく、こんな感じの曲もあります。

映像もきれいで癒やされますね。

今後も注目したいアーティストの一人です。

そうそう、明日は自主練習が赤坂区民センターであります。私は北海道におりますが、メンバーのみなさまがしっかり練習いただけると思います。

ではみなさまHave a nice day.

by Shinshi

ps.昨日あまり書かなかったので、今日は少し頑張ってみましたよ。

先週のニュースで気になる記事が2つありまして。
一つがあのアル・ジャロウ(Al Jarreau)が亡くなったこと、そしてもう一つはアレサ・フランクリン(Aretha Franklin)の引退宣言について。

ゴスペル的には、まずはアレサ引退のニュースから。なんと言っても「ゴスペルの殿堂」ですからね。


各ニュースサイト(例:barks)によると、アレサ・フランクリンが年内にアルバムを出して引退をする意向のようです。最後のアルバムのプロデューサーは同郷の大物ミュージシャン、あのスティーヴィーワンダーとのことです。

うーん…さみしくなりますね。
とうとう来日公演は実現しなさそうですね。
飛行機が苦手な人ですからね。

アレサは1960年代からUSAのSoul,R&Bを牽引してきた第一人者です。グラミー賞20度以上の受賞はもちろん、その功績から各界の殿堂入りや、大統領勲章まで受勲してます。USA黒人女性の象徴のような存在です。

とはいえ、アレサも今年で75歳。
一線で活躍する体力を維持するのも大変です。
そう考えると、今年78歳のPastor Shirley Caesarって本当にすごいですよね。

アレサの最後のキャリア1年に、注目したいと存じます。

では最後に、オバマ大統領前で披露したケネディセンターでのアレサの"Natural Woman"のステージをお届けします。



感動します。

ではHave a nice day.

by Shinshi


PS.アレサ・フランクリンの経歴については、こちらのブログで解説してますよ。
アレサ・フランクリンについて その1
アレサ・フランクリンについて その2
アレサ・フランクリンについて その3
アレサ・フランクリンについて その4

驚きました。

Wham!(ワム)のGeorge Michael(ジョージ・マイケル)の訃報。
まだ53歳でしたか。

Last Christmasの歌い手が、まさかクリスマスに亡くなるとは。

実は、彼もゴスペルクワイアをバックに歌ったこんなライブを残しているんですよ。

○One More Try/George Michael


ソロに転向したアルバム"Faith"(1989)からです。

改めて彼の声の良さ、歌唱力、才能の豊かさを感じます。
残念ですね。

しかし、80年代に活躍したアーティストが次々と亡くなっていくのは淋しい限りです。

今年に入ってDavid Bowie、Prince、Earth,Wind&FireのMaurice White,
EaglesのGrenn Frey、Dead or AliveのPete Burns、EL&PのGreg Lakeなどなど。

そして50歳前後で亡くなる大物ミュージシャンは多いですね。

Michael Jackson,Whitney Houston,Prince,
そしてこのGeorge Michael。

才能あるアーティストは、いろいろあるのかな。

安らかに眠っていただきたいですね。

ご冥福を祈ります。

by Shinshi...
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昨夜は新宿で3ステージほどライブを
終えて、いつものごとく深夜に帰って
ブログをつけているのですが、印象に
残ったことがあって。

楽屋で出演者の方とゴスペルのお話を
する機会があったのです。
で、アレサ・フランクリンの原点はゴスペル
という話になって、74歳の彼女がいまだに
すごい迫力と声量、オーラを感じさせる
のがすごいという話題になりました。

ということで、昨年の映像ですが、アレサが
オバマ大統領を前にホワイトハウスで歌った
パフォーマンスをご紹介します。



うーん、すごい。
本当に70代ですか、って感じです。
ここまで歌唱力を維持しているのは
並々ならぬご努力の賜物とお察しします。

人間の無限の可能性を感じますね。

私たちも見習わないと。

by Shinshi

ああ今日は七夕か、と思いながら、
深夜にとぼとぼと家路についてます。
星になにか願いをかけたいところですが、
今はただただ世界平和を願うのみです。

さて、ここ2日ほどBillboardのチャートからきて、
Shirley Caesarの新曲の話をしてますが、
そもそもShirleyの話をこのブログでご紹介した
ことがなかったかも、と思って過去のブログを
検索したら、本当に一度もありませんでした。
びっくり。

ゴスペルをちょっと長くやられていらっしゃる方なら
当然ご存じと思いますが「First Lady of Gospel」と
言われる大御所ゴスペルシンガーです。

1938年生まれのShirleyは、今年78歳を迎えます。
それでいて、なお新曲を出しているのです。
しかも最新チャートでTop10入りです。
すごいPastor、Shirley。お元気過ぎです。

あの伝説のゴスペルバンドThe Calavansで1958年にデビュー以来、
キャリアにして約60年を迎えるShirleyですが、
この間グラミー賞11回受賞など数々の輝かしいキャリアを経て、
今日もなおライブを各地で行うなどご活躍です。

キャリア約60年って、あのビートルズより前にデビューしている訳です。
で、いまだに現役です。
いかにすごいことか、ちょっとでも伝われば幸いです。

ということで、今日はこちらをご紹介。



そういえば、Mama I Want to Singなど数々の
ミュージカルにも出演してますよね。
幅広い活躍ぶりです。

おっと、そろそろおいとまの時間です。

ではすてきな七夕を。

by Shinshi...
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けさ、以前同じオフィスで働いていた方に
5年ぶりくらいに道でお見かけしたので、
お声をかけて「お久しぶりです」と散々
お話したところで、最後に
「ところで、おたくお名前、誰さんでしたっけ?」
と言われました(^_^;)。

まあ、ご退職された方なので仕方ないかと、
淡々と名乗ったら「あー!」と言われました。
もう、そそくさとその場をおいとましました(^^;)。


さて、昨日ご紹介したMarvin Sappのプロフィールを
ご紹介してませんでしたので、今日からお伝えしてみます。

1967年 ミシガン州生まれのMarvinは、幼い頃から教会や
街のあちこちのステージで歌って評判になってました。
ら彼が表舞台に出て頭角を表したのは
90年代にCommissionedというゴスペルグループに参画してからです。
そして彼をCommissionedに呼んだのは、なんとあのFred Hammondです。

ソロ活動に入ってから、しばらくして2007年、
彼はこの曲で一躍注目を浴びます。


Billboard Gospel ChartでNo.1になったばかりか、
普通のBillboard ChartでもNo.14まで登ったのです。
これはかなりの快挙でした。

この続きはまた明日に。

by Shinshi

FMやAMでは、連日のようにプリンスの特集が番組の中で紹介されてます。
アメリカでは、CNNで大統領選よりも優先して番組が組まれたほどです。
USA国内の各地で、彼を悼むパープルな光のイルミネーションが飾られて
いるようです。

世の中できっと彼のヒット曲が流れていると思うので、あえてこのサイトでは
違ったアプローチでご紹介したいと思います。

前日ちらっと触れましたが、実はプリンスにもゴスペル的なアプローチを
した曲があります。
2001年に発表された「Rainbow Children」がそれです。

一時期、プリンス(Prince)というアーティスト名をやめて、ロゴマークみたいなもので
活動していた時期もあったのですが、再びプリンスとして再出発した時期に出した作品で、
音楽としては、ジャズの要素が強いのですが、歌詞の内容はスピリチュアルな内容に仕上がってます。

著作権管理が厳しくて、youtube上になかなか良い曲の映像がないのですが、
たとえばこんな感じのJazzyな曲が多いのです。



印象深いのは、Everywhereという曲の中で、神さまの全知全能に触れています。



There's a place I want to go
行きたかった場所がある。

Where the milk and honey flow
そこにはミルクとはちみつが流れていて

Without God, it wasn't there
神様がいなかったら、そこは存在しなかっただろう

Now I feel it everywhere
私はそれをいたるところでいま感じている。

(訳:Shinshi)



プリンスといえば妖艶な感じなアーティストイメージでしたが、
このあたりの作風から、少し変わった印象を受けました。

彼がこの後、2000年代に再び復活して、数々のグラミー賞を受賞していきます。
これまでの妖しい世界から精神的な世界へ、騒然・雑然の世界から静寂の世界へと
プリンスが変貌を魅せた、まさにRainbowな彼の七色の色彩をかいま見た気がします。

彼は相当な「多作」家だったので、きっとこれから未発表テイクが次々と発表されることでしょう。
ボツになった曲が1000曲以上もあるらしく、アルバムも5枚くらいレコーディング後に発表直前で
リリース中止になったりしてます。

ひょっとしたら、ゴスペルな作品がまだまだ出てくるかもしれませんね。
いつの日か、私たちが歌うスタンダードなゴスペル曲が出ればいいな、
と思います。

Prince Roger Nelson氏のご冥福を祈ります。


by Shinshi

いやー、ショックでした。
昨朝、ニュースを見て目を疑いました。

80年代を席巻したアーティスト、プリンス(Prince)が亡くなりました。
まだ57歳でした。早すぎます。

80年代はマイケルジャクソン、マドンナ、ホイットニーヒューストンと
ともに、プリンスの時代だったと言えるでしょう。

グラミー賞7回、代表作のアルバム「パープル・レイン」は
24週連続全米No.1という、とてつもない大ヒットでした。
MTVが初めてPVを放映した黒人アーティストは、実はマイケルと
プリンスだったと言われてます。

プリンスは、よくマイケルと比較されてましたが、個人的には
そもそも比較すべきではない、まったく別物のアーティスト
だったと思います。

マイケルは洗練されて、繊細なところもありつつ、
計算されたエンターテイメントで、カリスマ化されていました。

それに対し、プリンスは奇想天外な作風で、
いわゆる「天才肌」でした。

ギター、シンセサイザー、ドラム、ベースなどの楽器を
すべて自分ひとりでレコーディングをこなしました。
歌い方も超オリジナリティにあふれてました。
予想できないコード進行。
刺激的な歌詞。
自由奔放なパフォーマンス。
でも、意外と内面はまじめで神経質なところもかいま見える、
アーティスト肌な天才でした。

Princeの代表作といえばWhen Doves Cry(ビートに抱かれて)ですが、
新しい時代を感じたのは、むしろこちらの曲ですね。

○Batdance(From"BATMAN")/Prince(1989)

映画のセリフをサンプリングしてサントラ曲にしてしまう、
という手法に当時驚いたものです。

でも個人的には、彼が作った曲の中で、一番完成度が高いと
思うのはこちらの曲です。

○I Feel For You/Chaka Kahn


初めて聴いた時に衝撃が大きかったですね。
新鮮でした。
間奏のかっこいいブルースハープ(ハーモニカ)ソロは、
ご存じStevie Wonderです。

歌っているのはChaka Kahnのが有名ですが、
この曲はもともとPrinceの作曲です。

シンセサイザー、サンプル、リズム、どれを取っても新鮮で、
本当に彼らしいセンスのよい曲です。

実はこのPrince、ゴスペルソングも残していました。

続きはまた明日。

by Shinshi...
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あのアース・ウィンド・アンド・ファイアー(Earth,Wind&Fire)の
リーダー(Vo)、モーリス・ホワイト(Maurice White)が亡くなり
ました。74歳でした。

ここのところ、本当に立て続けにビッグアーティストが亡くなってますね。
デビッド・ボウイ、ナタリー・コール、グレン・フライ、そしてモーリス。

ひとつの時代の終わりを感じます。

アースというバンドとしてはSoul,Disco,Funk,R&B中心ですが、
Gospelに踏み込んだ曲も数多く残しています。
実際、彼らの影響はGospel界にももたらしています。

たとえば彼らの代表曲のひとつ、September。



こちらもゴスペル界では、Kirk Franklinがこのようにアレンジして
いることで有名です。
※映像の最後にMaurice White本人も出てきます。



また、神々のコンセプトに踏み込んだ曲が多く、特に「ALL'N ALL(太陽神)」という
アルバムでは、かなり神へのアプローチを練られている感があります。例えばJupiter(ローマ神話で
いう天文学、宇宙の神様)をテーマにした曲もあります。

でも、日本では70~80年代のディスコで一世を風靡したグループとして知られ、
皆さんもおなじみの曲が多いと思います。
たとえばこちら。



私も毎月のように某バンドで弾いてますが、この曲は本当に定番ですよね。

モーリスはこの世から去りましたが、彼の曲はこの世に名曲として残り、
人々を踊らせて楽しませていくことでしょう。

ご冥福を祈ります。


by Shinshi


PS:
個人的にはAfter the Love Has Goneが名曲だと思ってます

昨日お話したNatalie Coleについて、
今日は少し生い立ちに迫ってみたいと
思います。

1950年2月6日、ロサンゼルスで、ジャズ大物歌手で
ピアニストでもある父ナット・キング・コールと、
デュークエリントンオーケストラの歌手である
母マリア・コールの次女として生まれます。

ハリウッドの裕福な地区で育った彼女ですが、最初は
医師になりたかったという彼女も、やはり音楽の才能は
ただならぬものがあり、10代のうちから注目されて、
クラブシンガーとして歌っていたところを、あのカーティス・
メイフィールドに見出され、25歳に満を持してデビューを
果たします。そのデビュー曲がこちらです。



一日の始まりに聞くとわくわくするような明るい曲です。
後半のコーラスワークと歌唱力が聴き所です。

このThis Will Beがいきなり全米6位の大ヒットソングに
なり、その年のグラミー賞最優秀R&B女性ボーカル賞、
最優秀新人賞に輝きます。

この後もコンスタントにヒット曲を飛ばし、70年代後半は
彼女の一つの絶頂期となります。

しかし80年代に入ると、しばらく不遇な時期に入ってしまいます。
いわゆるスランプの時期です。
さらには薬にもハマってしまい、これをキッカケにわずらった
C型肝炎があとあと尾を引いていきます・・・
が、ここで彼女のキャリアは終わりません。

この続きはまた明日。

by Shinshi...
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三が日が終わりました。
今日から平日ですね。

正月の三日間はちょっとこの話題を控えていたのですが、
さすがに触れなくてはいけないかな、と思っていたので
昨年末12月31日に亡くなってしまった大物女性歌手
ナタリー・コール(Natalie Cole)の話題について
少しお話したいと存じます。
テレビやFMでも緊急で彼女の特集をしてますしね。

あまりに早かったですね、65歳でした。

お父さんのナット・キング・コールも45歳でしたからね。
天国からお父さんが呼んじゃったかな、という気もします。

ジャズ歌手だった父ナット・キング・コールと違って、
ナタリーは最初からソウル歌手でした。
R&Bでゴスペルの香りが漂うそのズバ抜けた歌唱力は、
1975年のThis Will Beで、デビューとともに瞬く間に
売れっ子になります。

彼女の代表曲といえば、亡くなった父ナット・キング・コール
とのバーチャル・デュエットでグラミー賞まで受賞したこの曲だ
と思われます。



この素敵な曲と、亡き父との映像、にくい演出です。
涙なしには見られません。

でもそんな彼女も、実はゴスペルを意識した曲を残してます。
それがこの「Be Thankful」(1977)です。



ファンキーです。
歌詞は、どんなに不満があっても、どんな境遇でもただただ
神への感謝を言おう、というメッセージです。
サビはThank you,Lordを繰り返してます。
意外とゴスペルの王道を行く内容だったりします。

この曲が収録された「Thankful」というアルバム全体が
人類の普遍的な愛とか感謝とか、そういったものがテーマに
なっていて、そこにゴスペルの香りがただようものになって
います。彼女もゴスペルの魂が根底にあったのでは、と作品
からも見て取れます。

明日は、さらにナタリーのお話の続きをしたいと思います。


by Shinshi...
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Tye Tribbett来日

2015年05月29日
さすがにしばらく開いてしまったので、
今日は遅くなってもちゃんとブログを書こうと
決めてました。

あるお方から「毎日まじめだね」と言われましたが、
私は不器用なので、人の三倍は努力しないと
いけない
立場だと思ってます。
ゴスペルも、仕事も。

さて、ゴスペル情報のアンテナが高い方ならとっくに
ご存知と思いますが、昨年のグラミー賞ゴスペル部門を
2タイトルも受賞したあのTye Tribbettが6月に来日します。

東京では6/25~26に六本木ミッドタウンにある
Billboard Liveです。

彼については1月のブログでも触れましたが、
ヒップホップとロックをゴスペルに融合させて、
新しいゴスペルのスタイルを見せたアーティストと言えます。
例えばこちらの曲です。




いかがですか?

とにかくわかりやすいメッセージと、耳に残るフレーズ。
若いリスナーを確実に開拓してます。
あのMotownが目をつけて契約したのも納得です。
後ろのコーラス隊も生で聞いてみたいですね。

おっと、そろそろいい時間なので、本日はこの辺で。

by Shinshi

Cece Winansについて

2015年02月10日
昨日は短くて大変失礼しました。
今日こそ、昨夜ご紹介したCece Winansを改めてお伝えしたいと存じます。

ゴスペル経験者ならご存じ、あのThe Winans Familyの長女です。
いわゆるUSAゴスペル界の大御所ファミリーです。

もともとCeceのお父さんDavid(Sr.)がゴスペル界で名の知れた
アーティストでしたが、1980年代以降、10人の子供と一緒に
Winans Familyは瞬く間にゴスペル界のジャクソンファミリーと
呼ばれるほど有名になります。

お兄さんのBeBe Winansとduoでデビューした8番目の子Ceceが
ソロになって成功した大物アーティスト、と言えるでしょう。
なにせグラミー賞を10回も受賞してます。
史上最も成功した女性ゴスペルアーティストの一人と言われてます。

歌唱力はもちろん、癒されるようなソフトなタッチ、ソウルフルさなど、
ゴスペルにとどまらず幅広い表現力が彼女の持ち味と存じます。

今日はあのWhitney Houstonとのduet,Count On Meをお届けします。


おっと、そろそろ失礼する時間なので、本日はこの辺で。

by Shinshi

みなさま、お正月気分を満喫されてますか?
このような時間の余裕がある時に、ぜひゴスペルの知識を深めていただけたら幸いです。

今年最初にご紹介するのは「ゴスペルの王(the King of Gospel music)」と呼ばれる
ジェームズ・クリーヴランド(James Cleveland 1931-1991)です。

実はこの方、なんとこのAJC/AGCにも間接的に関係します。
私たちの師であるGreg Hartdige氏の才能を最初に見出して
ゴスペル界に引き込んだのは、なんとこのジェームズ・クリーヴ
ランド氏です。

ということは「私たちの師匠の師匠」なのです。
※と書いてみたものの、たぶん世界中に何百万人も同じような状況のクワイアがいらっしゃると思われます...

グラミー賞を4回も受賞しているこのゴスペル界の王は、ゴスペル黎明期の
1950年代に、伝説的なグループThe Caravans」の作曲・アレンジ・
ピアノを担当してから、自身のグループの活動を通じて、伝統的なブラック
ゴスペルから、いわゆるソウルへと発展させるキッカケとなった、現代ゴスペルの
功労者とも言われています。

マヘリア・ジャクソンと同じ時代に、ゴスペルを一般的に広めた人でもあり、
彼の音楽活動のターニングポイントとなった曲の一つがこの曲です。

〇Peace Be Still/James Cleveland


聞いたことありませんか?
The Love of GodやGod is などとともに、彼の有名な作品の一つです。

たまには古い曲に耳を傾けて、ゴスペルの歴史を紐解いて、60年代の
激動の黒人社会の時期に思いを馳せて、祈りの歌を聞いてみると、
よりゴスペルを深く理解いただけるのでは、と存じます。

では本日はこの辺で。

by Shinshi

PS:みなさんにすてきな初夢が訪れますように。

突然ですが、質問です。
みなさんはGospelに触れるようになったキッカケは何ですか?

昨日からご紹介しているDonnie McClurkinは、苦しみから
逃れるための「救い」の場として触れたのがきっかけでした。

彼が8歳の時、二つ年上のお兄さんが、交通事故で車にはねられて
亡くなってしまいます。そのことがきっかけ家庭内は深い悲しみと
ともに混乱に陥り、やがて彼は一緒に住んでいた家族らから虐待を
受けるようになってしまいます(それは彼の妹たちも同様でした)。

何年にもわたり、苦しい虐待を受けた中で、彼は教会に自分の居場所を
見出します。
彼のおばが、著名なゴスペルシンガーであるアンドレ・クラウチのバックコーラスを
つとめていたため、彼はおばと一緒に教会に通い、Gospelの中に自分の居場所を
見い出すのです。

彼は10代の後半からメキメキと頭角を現し、ついには自分のChoirを
持つようになり、20代以降は、その才能を買われて、ゴスペル界の中心的存在で
ある「The Winans Family」の一員、Marvin Winansから声がかかり、
彼の設立したデトロイトの教会で聖職者として雇われます。

そこで得られた人脈と評判をもとに、彼は1996年、ワーナーから
ゴスペルシンガーとしてメジャーデビューします。
アルバムはTake6のMark Gibleをプロデューサーに迎え、先日ご紹介の
「Stand」などをリリース。これがあのオプラ・ウィンフリー(USAの
有名な司会者)から賞賛されて、一躍彼を有名にし、その年のグラミー賞を
受賞します。

その後も彼は次々とビルボードなどのUSAのゴスペルチャートのみならず、
普通のPOPチャートでも上がるほどポピュラーな存在となっていきます。
Standと並ぶほどコンテンポラリーの代表曲となった曲がこちらです。

〇We Fall Down(But We Get Up) /Donnie McClurkin


最初、ルーサ・ヴァンドロスにも似た雰囲気を感じたのですが、
途中から「ああ、Take6の香りがする」と感じたのは、私だけでしょうか。
確かな声量と歌唱力(音域もかなり広いですし)、聴きいってしまいます。

しっとりとした雰囲気、いいですね。


by Shinshi


PS:
ブログの更新、遅くなって申し訳ございません。
またしても翌日になってしまいました。
なかなかどうして、仕事終わって、ブログを書く自由な時間帯が
どうしても深夜になってしまいます。

そして、気がつけば年末です。
恐らく来月はX'mas Festivalはもちろん、もろもろ重なって
もっとブログ更新が厳しくなると存じます。
スピード感をもって頑張らないと、ですね。。。

すみません。
ちょっと余裕がなくて、本日中に一度、更新できればと考えてます。

テーマは「Donnie McClurkinについて ~その2 生い立ち~」を予定してます。

幼少時に壮絶な経験をしたDonnieが、どのようにゴスペルに出会い、
そして成長し、ゴスペル界を代表するアーティストになっていったのか、
触れていきたいと存じます。

by shinshi


PS:明後日引越しなので、荷造りやら、電気・ガス・水道などなどの移転手続きやら・・・です。
先週からのモーレツな「断捨離」を決行して、家全体の荷物がようやく3分の1以下になりました。

おととい「Holy」という曲についてご紹介しましたが、
この曲を歌っているDonnie McClurkinについて、「そもそも
なにも紹介していないじゃない」というお声をいただきそうなので、
今日は少し彼のことについてご紹介しておきたいと存じます。

Donnie McClurkinは1959年 サウスカロライナ生まれ。

過去にグラミー賞を3度も受賞しており、さらに他にもゴスペル界で
栄誉あるStella賞を10度、BET AwardsやSoul Train Awardsを
各2度、そしてDove Awardsを一度受賞するなど、ゴスペル界を代表する
アーティストの一人です。

ゴスペル界では、ヒットと言ってもせいぜいCD10万枚売れれば恩の字の世界なのですが、
彼はこれまで世界全国で合計1,000万枚以上も売れている、稀有なゴスペルミュージ
シャンの一人です。

代表作の一つにデビュー曲の「Stand」があります。

〇Stand/Donnie McClurkin & Marvin Winans


この曲は1996年に、あのTake6のMark Gibleがプロデュースとして
手がけてリリースされ、コンテンポラリーながらもメッセージ性の
強い歌詞もあいまって、彼の名を一躍USAに広めた曲の一つです。

なんとなくこの頃のTake6サウンドの香りを感じるのは、私だけではないはずです(^^

そしてyoutubeの映像はLiveですが、最初に歌っている男性は、USAゴスペル界では
知らない人はいないであろう、あのWinans Familyの一員、Marvin Winansです。
(あのBeBe Winans・CeCe Winansのお兄さんですね)。

後半の2人のアドリブ全開の掛け合いが、見ていて面白いです。
クワイアの人数も結構多いですね。

さて、DonnieがGospel界で有名になるのには、Marvinの存在が関わっています。

さらにDonnieがGospelに身を置いていった経緯には、小さい頃の壮絶な体験が深く関連しています。

この辺の生い立ちについては、また明日に。


by Shinshi

3連休が終わって、いつもの生活に戻ったとたんに、
急にいろいろと仕事がやってきますね(笑)。特に
自分の仕事がら、3ヶ月単位で物ごとやスケジュールを
見ることが多いのですが、気がつくともう年末を意識して
ます。

この分だと、きっとあっという間にX'masがやって来て、
気がついたら、神社に初詣しているに違いありません(笑)。

さて、今日はまたまた1日あけてしまいましたが、日本でも
人気あるHezekiah Walker(ヘゼカイア・ウォーカー)の
経歴の続きをご紹介します。

彼がすごいミュージシャンである前に、いかにすばらしい
牧師であるか、ということが、前回までのお話でも、お判り
いただけたと存じます。

が、今日は音楽に関するお話です。

彼が世間から音楽で注目を浴びるようになるのはThe Love
Fellowship Crusade Choirを率いて、グラミー賞表彰式で
歌った1985年あたりからです。

もちろんそれまでに彼が作ったクワイアが、NYブルックリン
地区のあちこちにあったのですが、このCrusade Choirを
率いたことにより、一気に知名度が上がります。

そして、90年代はゴスペル界で最も人気のあるクワイアへと
成長していき、新たなクワイアThe Love Fellowship
Tabernacleを結成。
これが素晴らしいクワイアとなり大当たりします。

1994年のアルバム「Live in Atlanta at Morehouse
College」で、彼とクワイアはグラミー賞(ベスト・ゴスペル
アルバム部門)を受賞します。さらに2001年にはアルバム
「Love Is Live!」で2度目のグラミー賞(ベスト・ゴスペル・
アルバム部門)に輝きます。これで名実ともに、ゴスペル界の
重鎮となります。

彼の音楽の持ち味は、パワフルで爽快なメロディー、そして
強烈なリズムです。「Pastor(牧師) of Hip Hop」と呼ばれる
ように、HipHopをゴスペルに持ち込んだ先駆者の一人でもあるの
ですが、Hiphop以外でも、他のアーティストと違って、なんというか
とにかくパワフルなのです。
ノリが良い、グルーヴ感が素晴らしいのです。

You're All I Needもそうでしたが、私たちAJCも、
そのノリの良さを強く感じた曲がこちらです。
       ↓
〇I'm Waiting / Hezekiah Walker & LFCC


昨年夏に、Greg師から送られてきた新しい6曲の中で、
AJC内の投票で最多得票を獲得し、最初に「これやろう!」と
手をつけ始めたのがこの曲でした。

とにかくこのグルーヴ感。ダブルシャッフルが独特で、
カッコいいのです。
これをバックで演奏するバンド側は、この3連のウラを取る
ノリを出すのに、相当テクニックを要求されて大変でしたが(笑)。

Hezekiah Walkerの曲はライブでも盛り上がるので、これからも
AJCでちょくちょく取り上げていくことになると存じます。

まだまだお世話になります、「Pastor of Hip Hop」様。


by Shinshi

3/15に私がここで「毎日ブログ更新します」宣言をしてから、
気がつけばちょうど半年たちました。
途中1日から2日ほど抜けてしまったこともありましたが、
たまに私が更新できなかった時でも、AJCの方々(主にMagaeさん)
にアシストいただき、おかげさまでほぼ毎日更新できております。

最初「どうせ3日坊主だろう」と思っていたことが、一週間になり、
一ヶ月になり、とうとう半年まで来ました。

このゴスペルという比較的コアなジャンルにもかかわらず、半年で
約5.6万PVに到達できるほどになったのは、ひとえにこのHPを今
ご覧いただいている皆さまと、AJC/AGCメンバーの方々のおかげです。
本当にありがとうございます。

さて前置きが長くなりましたが、先日このブログでもご紹介していた、
日本でも人気あるHezekiah Walker(ヘゼカイア・ウォーカー)の
生い立ちについて、今日は少し触れてみたいと存じます。


1962年、ニューヨークのブルックリンで生まれた彼は、決して
恵まれた環境で育ったわけではありませんでした。
ブルックリンの中でも、特に治安が悪い貧困地区GhettoのEast New Yorkで
育った彼は、貧困・差別・そして犯罪を身近で目の当たりにしながら育ちます。

当時Ghettoの地区の大半の若者が、貧困から満足な教育も受けられず、
また差別されて満足な仕事も得られず、ドラッグや犯罪に手を染めて
ギャング団へと加入していく、「負のスパイラル」から抜け出せない状況にありました。

そんな中、周囲に惑わされず勉強を積み重ねて若くして牧師となった
Hezekiahは、なんとドラッグ・犯罪に手を染めた少年たちを、一人一人
ていねいに熱心に説き伏せて、ゴスペルを通じて教会へと足を運ばせ
神の道へと目覚めさせ、更正させていったのです。

最初8人しかいなかった彼のクワイアは、わずか2年で2000人を超えます。
のちに、地区の犯罪が3割も減ったということで、彼は地元の警察、そして
さらにはNY市長にまで表彰されることになります。

なぜここまで彼は、若者の心を捉えることに成功できたのでしょう?

彼の教えたゴスペルは、伝統的なdoowap系ではなく、いわゆる
コンテンポラリーなHipHopです。
いまでも彼が「Pastor of Hiphop」(ヒップホップの牧師)という
愛称で親しまれているのも、その所以(ゆえん)です。

彼は牧師としてのみならず、作詞・作曲・アレンジのどれをとっても、
とても才能がある人でした。
Hiphopはもちろん、Soul、R&B、POPなど知識の引き出しが豊富で
そこに神の道を説く詩が上手にマッチされて、伝わりやすい歌詞が
彼の特徴になっています。

さすがグラミー賞アーティストです。

・・・と長くなってきましたので、この続きはまた次回に。

最後に彼の最近の代表曲「Every Praise」をお届けします。


ではみなさま素敵な休日を。


by Shinshi


PS:
本日は敬老の日ですね。
私は両親が70~80代で世間的にも「老人」なのですが、
さらに上に100歳になる祖母がまだ健在でして、いまだに
「なかなか電話もよこさないで」とたまに言われます。
今日くらいは声を聞かせた方がよさそうです。
ま、それでも何か言われそうですが・・・(苦笑)

Joe Sampleについて

2014年09月14日
つい先ほど飛び込んできたニュースですが、ジャズ・フュージョン界の
大御所ピアニスト ジョー・サンプル(Joe Sample)さんが
現地時間9/12に亡くなったそうです。75歳でした。

今日は予定を変更して、この話題を少しつづらせてください。

彼は70年代、ジャズからフュージョンへとシフトしていくその全盛期に
「The Crusaders」の一員として名を馳せたピアニストで、ソロとしても、
プロデューサーとしても活躍しました。

アメリカ南部のヒューストン生まれの彼は、ジャズだけではなく、
ファンク・ロックの要素を入れたクロスオーバーな斬新な作品を出したことで、
フュージョン界の草分け的な存在として70年代以降、シーンのトップに君臨していきます。
もちろんゴスペルの影響も受けていて、作品の随所にゴスペルテイストな
コーラスを入れた作品もいくつかあります。

彼のピアノのプレイスタイルは、飛び跳ねるような、転がるような
ソウルフルでファンキーなピアノです。
10秒ほど聴くだけで「あっ、ジョー・サンプルだ」とわかるような
弾き方なのです。
私もとても勉強になったアーティストで、そして大好きだったピアニストの一人でした。。。
今年1月に予定されていた東京でのライブも中止になっていただけに、
もう見られないと思うと余計ショックです。

そんな彼をしのんで、代表曲の一つのこの曲をお届けします。
ちょっとゴスペルテイストも感じる、クロスオーバーなアレンジです。
歌っているRandy Crawfordにも注目です。

〇Street Life/Joe Sample Trio & Randy Crawford


Randy Crawfordも、この曲で一世風靡した女性シンガーです。
映像を見ると、まるでお風呂上がりにガウンを着たような衣装ですが、
その堂々たる風格と、魂から出ている歌声が本当に素晴らしいです。

この組み合わせが、もうナマで見られなくなるのは寂しい限りです。
でも彼がジャズ・フュージョン・ファンク・ブラックミュージックに
残した功績は大きいです。

ご冥福をお祈りします。

by Shinshi

PS.
今夜はStreet Lifeをピアノで弾いてちょっと
tributeしてみます...なんて、そんなえらそうな
立場にないですが。。。

今日から3連休ですね。
お出かけにもちょうどいい気温です。
ちまたでは「シルバーウィーク」という言葉も定着しているようで。

さて、今日は久々にアーティスト紹介をしようかと存じます。
ゴスペルをやっていらっしゃる方なら、一度は耳にしたことが
ある名前ではというHezekiah Walker(ヘゼカイア・ウォーカー)です。
日本でも彼の曲を歌ったことのあるクワイアは相当多いのではないかと
思います。

そんな私たちAJC/AGCも「You're All I Need」や「I'm Waiting」など
彼の曲を歌っていて、選曲の際の人気投票でも必ず上位に来ます。
つい一昨日のブログでも、「I Need You to Survive」という曲を
ご紹介したばかりです。

彼のすごいところ、もちろん作詞・作曲家・ディレクター・演出家と
しても優れているのですが、現役の牧師さんであり、NYの貧困地区で
非行に走っていた少年たちを教会に足を向かせ、何万人という少年の
更生にあたってきたことです。人格者としても尊敬されるゆえんでも
あります。

で、今日は私たちもよく歌っている、この曲をご紹介します。

〇You're All I Need/Hezekiah Walker


2008年にリリースされた「Souled Out」というアルバムの中に
入ってます。

Greg師が教えていた頃からずっと歌っている曲で、AJC/AGCも
思い入れの強い曲の一つだと思います。
この曲を歌うことで、逆に元気をもらう気がします。

この曲について、印象深い思い出が一つあります。
たしか去年の3月末頃でしょうか、Gregが帰国すると決まった時、
AJCも少し落ち込み気味だったんですよ、正直。
こんな状況でやっていけるのかな、って。

でも、この曲を久々に集まって歌ったら、メンバーの皆さんの顔に
笑顔が戻ったんですよね。「まだやれる」という感じで。

「ゴスペルって元気をくれるんだな」って正直に思いました。
そんな曲を教えてくれたGreg師にも、そしてHezekiah Walker師
にも感謝した瞬間でした。

あ、ちょっと話がそれましたが、次回はHezekiahの生い立ちにも
触れていきたいと存じます。


by Shinshi

つい先ほど、伸び伸びになって懸念材料になっていた
レコーディング用の音源を、AJCメンバーにメールして
ほっと一息ついているところの私です。

いろいろたまっている宿題は多いのですが、一つでも片付くと
ちょっとホッとします。

さて、カーク・フランクリンのストーリー、今日で最後です。

前回までは、彼はゴスペル界のレジェンドと呼ばれるMilton Biggham
に見出されたという所まででした。

その後、彼は自らのグループ”Kirk Franklin & the Family”を率いて、
1993年メジャーデビューを果たします。

その最初のアルバム「Kirk Franklin & the Family」がいきなり、
全米ゴスペル・チャートでNO.1に輝き、全米の総合チャートでも
最高58位まで上昇するスマッシュ・ヒットを記録。
このアルバムはゴスペル界で初のプラチナディスク(100万枚以上)となります。

その後もコンスタントにヒット作をリリース。

1996年のアルバム『Whatcha Lookin' 4』で、グラミー賞「最優秀コンテンポラリー・ソウル・ゴスペル・アルバム賞(Best Contemporary Soul Gospel Album)」を受賞。
翌年の1997年のアルバム『God's Property』でもグラミー賞「最優秀ゴスペル・アルバム賞(Best Gospel Album By Choir Or Chorus)」を受賞。

そして、1998年にU2のボノ、メアリー・J・ブライジ、R.ケリーなど、錚々たる顔ぶれの豪華ゲストを迎えたアルバム『The Nu Nation Project』でも、グラミー賞「最優秀コンテンポラリー・ソウル・ゴスペル・アルバム賞(Best Contemporary Soul Gospel Album)」を受賞します。
このアルバムは、全米ゴスペル・チャートで50週近くもNO.1の座をキープし、全米の総合チャートでも最高7位を記録することになります。

この時すでに彼はもうゴスペル界だけでなく、普通の全米チャートでも席巻しており、
ゴスペル界の革命児として全米に名をとどろかすことになります。

この後もアルバムを出すたびに、ゴスペルチャートNo.1、全米チャートでも上位に入るようなヒット作を出し続け、アルバムは100~200万枚をコンスタントに売れ続けていきます。

さらに2005年のアルバム「Hero」でグラミー賞2部門で受賞します。

すでに今日、押しも押されぬ超大物アーティストとなったカーク・フランクリン。

彼が成功した最大の理由は、R&B・HipHopと言った音楽の要素を
ゴスペルとうまくクロスオーヴァーさせたその類まれなセンス、
と言われています。

普通にR&Bの曲として聴いても十分優れており、そこに神への賛辞が
さらにこめられていることで、より多くの若者たちの共感へと広がって
いったのです。

GospelというジャンルをUSAで一気にメジャーに広めた功労者と
言っても過言ではないでしょう。

そんな彼の代表曲としては、この曲があります。

〇HOSANA/Kirk Franklin


シンプルなんだけど、力強い。
そんなカッコよさがあります。

後半のコーラスと、ちょっと泣きの入ったコード進行は、
なかなか鳥肌が立ちます。
この人の才能を垣間見ることができます。

カークの曲、どこかのタイミングでまた取りあげていきたいと思います。

by Shinshi

ここ2日で一気に涼しくなりましたね。
夏盛りの8月なのに、今日の予報は最高気温25℃とか。
ここ10年で、ちょっと聞いたことない気温ですね。
気温の変化が激しいので、みなさまもご体調にお気をつけて
ください。

さて、昨日からカーク・フランクリンについてお話してますが、
今日は彼の生い立ちについて触れてみたいと思います。

1970年、テキサス州フォートワースに生まれたカーク・フランクリンは、
まだ15歳だった母親の元で最初育てられますが(父親は不明)、未熟な母より
日常的に虐待されていたことから、3歳の時に64歳の叔母に預けられ、
育てられることとなります。この叔母が、彼のその後の人生のキーマンとなります。

叔母はアルミカンを拾って売りながら彼を育て、4歳の時からピアノを習わせて、
5歳の頃には音楽の才能に優れていることを見出し、既に7歳の時には初めて
クワイアと伴奏の「専属契約」にこぎつけるなど、彼の才能を育てていきます。

そしてなんと弱冠11歳にして、教会のゴスペルクワイアのディレクターに就任します。
しかも大人たちで構成されているクワイアのディレクターですよ!
並大抵のことではありません、相当に音楽の才能が優れていたのでしょう。

でも輝かしい幼少期の経歴も長くは続きません。
反抗期に入ったとたん、彼は非行に走りはじめ、数々のトラブルを引き起こします。
教会からも追放され、学校からも退学となり、ガールフレンドを妊娠をさせてしまう
など、次々と問題を発生させていきます。

しかし15歳の時に転機が訪れます。

不良仲間だった親友が銃で撃たれ、亡くなってしまいます。
これをキッカケに改心し、問題ある行動を反省し、叔母の援助も
をウケながら、再び教会に戻ってゴスペルを始めていきます。
ディレクターとしてクワイアを率い、曲作りやアレンジを始めた
カークは、積極的にコンサートやレコーディング活動を行っていきます。

ある時レコーディングしたThe Humble Heartsという曲が、
ゴスペル界の大物Milton Bigghamの耳にとまり、才能を見抜いた
ビッガムはカークを自分の元に来ないかと誘います。
ここから彼の人生が好転していきます。

この時、彼は20歳。

ここから彼のサクセスストーリーが始まります。

この続きはまた明日に

by Shinshi


PS:
引っ張ってないですよ(笑)。
最初の20年でこんな熱いストーリーですから、全部書いたら相当長くなっちゃいます。

ここ数日は、このブログでもイベント系のお知らせが続いたのですが、
今日からまた少しアーティスト系を掘り下げてみようか、と思います。
マヘリア・ジャクソン、E・ホーキンス、アレサ・フランクリンと、
「女性⇒男性⇒女性」と来たので、今回は男性アーティストの番です。

アレサからの「フランクリン」つながりで、カーク・フランクリン(Kirk Franklin)を
チョイスしてみました。ちなみにアレサとは、親戚でも何でもありません。

今までご紹介したアーティストに比べれば、かなり「最近の人」です。
しかし現在のUSAのゴスペル界では、既に超大物の域に達している人物ですから、
おそらくUSAでゴスペルやっている人なら、知らない人はいないでしょう。

現在公開中の映画『Gospel』でも彼のインタビューがある模様です。
※でもすみません。私は映画のチケットを購入してもらっていながら、昨日
 寝坊して観られなかった身なので、本件を全くコメントできる立場にござい
 ません...


さて、有名な曲はHOSANAなどたくさんあるのですが、今日はこの曲をご紹介します。

○He Reigns/Kirk Franklin



ウチのクワイアでも昨年末に歌ってますね。

2つのコードを行ったり来たりする、とてもシンプルな曲です。
HipHopの独特のリズム、ラップのような歌詞など、コンテンポラリーな曲調の中に、
現代風に神をあがめる歌詞が盛り込まれています。

けっこう早口なので、当時AJCの練習の時に「呂律(ろれつ)が回らない」とか
「早すぎる」と、メンバーの方がよく困られていたのを思い出します。
それもGreg師が教えていた頃の話です。

早口部分の英語の歌詞を、「わからないから全部カタカナで書いて」と言われて
私がホワイトボードに全部書いてお伝えした記憶もありますね。
すでに懐かしいお話です。

明日は彼の生い立ち、エピソードとかに迫っていこうかと存じます。

by Shinshi


PS:
早口で「呂律(ろれつ)が回らない」ときのボイストレーニング対処もあるんですよ。
後日ご紹介しますね。

PS2:
以前、カーク・フランクリンのことを『かーくん』と呼んでいる人をお見かけしたことがあります。
私は最初、光GENJIのことかと思いました。

昨日「アレサは結構こまめに紹介しているね」とのお声を頂戴しました。

そりゃそうですよ。だって、グラミー賞20回受賞の「超大物アーティスト」ですよ。既に生きる伝説ですから。

アレサの生い立ち・ストーリーについては、情報量も全然違いますし、思い入れも違います。まさにRespectですよ。

ということで、本日でアレサの経歴も最後になります。

さて、1967年「Respect」で初の全米1位を獲得したアレサは、その後もヒット曲を連発します。

1972年にはアルバム「Amazing Grace」をリリースし、ゴスペルとして初めてミリオンセラーとなる作品を世に出します。

彼女の代表曲をご紹介するにあたって、全米TOP10入りを果たしたシングルをざっと下記のとおり並べてみました。


1967  I Never Loved A Man (The Way I Love You) 9位
1967 Respect  1位
1967 Baby I Love You 4位
1967 (You Make Me Feel Like) A Natural Woman 8位
1967 Chain Of Fools  2位
1968 (Sweet Sweet Baby) Since You've Been Gone 5位
1968 Think 7位
1968 The House That Jack Built 6位
1968 I Say a Little Prayer 10位
1971 Bridge Over Troubled Water / Brand New Me 6位
1971 Spanish Harlem  2位
1971 Rock Steady 9位
1972 Day Dreaming 5位
1973 Until You Come Back to Me (That's What I'm Gonna Do) 3位

1985 Freeway Of Love 3位
1985 Who's Zoomin' Who 7位
1987 I Knew You Were Waiting (For Me) 1位
(with George Michael)


さて、ちょっと気づかれましたか?
1974~1984年までブランクがありますよね。

そうです。

アレサもずっと売れっ子ではなかったのです。

いわゆるディスコブームやAOR時代が到来し、ヒットに恵まれなかった時代もあったのです。

ところが、1980年以降にアトランティックからアリスタに移籍、その頃、絶頂期だったプロデューサー、ナラダ・マイケル・ウォルデンの手により、1985年にPOP路線の「Freeway Of Love」がリリースされ再び復活を果たします。さらに1987年には、ジョージ・マイケルとデュエット「I Knew You Were Waiting (For Me)」で、なんと20年ぶりの全米1位に返り咲きます。

その後、1987年にはロックの殿堂入り、その後ソウルの殿堂、ゴスペルの殿堂にも選出され、2005年には大統領自由勲章を受章、2009年にはオバマ大統領の就任式でも歌って、もはや「国民的な歌手」という不動の地位を築きます。

この経歴をつらつらと見ていると、彼女はゴスペルフィーリングの魅力をもっともポピュラーに伝えた功労者、と言えるのではないか、と思われます。

そこで、その典型として最後にご紹介するのはこの曲です。


バート・バカラックの超有名な曲のカバーですが、彼女が歌うとなんとなくゴスペルに聴こえるから不思議です。コール&レスポンス風に聴こえてきませんか?
このアレンジ、ゴスペルには非常に勉強になります。


ちなみに、アレサはまだ来日したことがありません。
なぜなら飛行機恐怖症なのです。仲の良かったオーティス・レディングが1967年に飛行機事故で亡くなってから、彼女はどんなに遠くても、鉄道や車・船で移動するようになった、というのは有名な話です。なので、アメリカ大陸内(アメリカ・カナダ・メキシコなど)のライブがほとんどです。

私たちが生でライブを見るには、アメリカ大陸に飛ぶしかないようです。

では、ちょっと行ってみましょうか(笑)。


by Shinshi


PS.
北海道に滞在中は、ずっとスマホでブログ更新しているのですが、このくらいの長文は結構厳しいですね。

もっとも、こちらのブログをご覧の皆様から「もっと文章を短くできないのか」とも言われそうですが(笑)。

東京は雨模様のようで大変ですね。こちらは北海道に入って4日目ですが、おかげさま毎日晴れて涼しい日々です。道端では、すすきが風に吹かれて揺れており、夜には、時折こおろぎが鳴いてます。もうすでに秋の装いが始まっているここ北海道です。

さて、アレサ・フランクリンの経歴のご紹介、昨日は幼少期から14歳のレコードデビューまでお伝えしましたが、彼女もここで終わっていたら、今のようなQueen of Soul的な地位は築いていなかったでしょう。続きのお話です。

デビュー時のアレサは、契約したコロムビアレコードの方針から、当時流行りのジャジーなポップ路線で売り出そうとし、彼女の持ち味であるゴスペルフィーリングを抑えるように言われます。しかし、これが全く泣かず飛ばずの状況を招いてしまい、彼女も苦悩の時代を過ごします。

コロムビアを解約されたアレサに目をつけたのが、アトランティックレコードの副社長ジェリー・ウェクスラーでした。

彼は既にアレサのゴスペルフィーリングの才能を見抜いており、既に14歳の時のレコード(ゴスペルソング)を聞いていたジェリーはSoul路線への転換を打ち出します。彼女の武器であるゴスペルフィーリングを全面的に出したパワフルで迫力あるsoul。これが当たります。

1967年、アトランティック移籍第一弾の「I Never Loved A Man」が全米9位のヒットとなり、さらに次にシングルカットされたオーティス・レディングのカバー「Respect」が念願の全米1位となり、不動の地位を築きます。



ここからアレサの快進撃が始まります。

やはりこのパワフルで、小気味良いリズム感がアレサの魅力ですね。

by Shinshi

さて、今日は伸び伸びになっていたアレサ・フランクリンの生い立ちを追いかけてみたいと思います。

1942年にアメリカ南部のメンフィスで生まれたアレサは、幼い頃から音楽的には恵まれた環境のもとで育ちます。

父のC.Lフランクリンは著名な牧師であり、彼の説教は「100万ドルの声」と言われるほどで、説教が初めてレコードに収められた牧師としても有名です。

一方、母親もまたすごい人で、あのマヘリア・ジャクソンをして「彼女はアメリカで最も優れたゴスペル歌手の一人」と評されたほどのゴスペルシンガーでした。

そのような環境のもとで、アレサは幼い頃からゴスペル、R&Bを聴いて育ち、自宅にはマヘリア・ジャクソンや、ジェームズ・クリーヴランドが訪れるなど、いろいろな刺激を受ける機会に恵まれていたと言われてます。

10歳の頃には父の教会で歌い始め、その才能はウワサになり始めます。既に14歳で初のレコーディングをして、世にレコードを出しています。

しかし、アレサは最初から売れっ子だった訳ではありませんでした。このあたりについては、また次回にお話します。

by Shinshi

PS.
まさか北海道に来てから、自由な時間が全くないとは(苦笑)。

次の紹介アーティスト、誰にしようかなと、あれさこれさと考えているうちに、アレサにしようと思いました(笑)。

さて、彼女は「Queen of Soul」と言われているように、そもそもゴスペルシンガーというよりSoulシンガーです。

でも、歌声をお聞きになればおわかりの通り、ゴスペルフィーリング全開で歌います。その姿に心を打たれるのであります。

ご紹介したい曲はヤマほどございますが、Respectにするか、Natural Womanにしようか、I Say a Little Prayerか、Bridge Over Troubled Water(サイモン&ガーファンクルの方が有名ですが)かなどと、さんざん迷ったあげく、結局こちらの曲にしてみました。

〇Think(feat.The Blues Brothers)



映画「The Blues Brothers」の映像(リマスター版)です。最近g.u.のCMでも使われていましたね。

Soulの中に、ゴスペルフィーリングをねじこんでいる彼女の歌い方には、なぜかとてつもないパワーを感じます。それはこの曲に限らず、どの曲にもあてはまります。

心の底から解き放たれる声。聴いている側が元気になる、力をもらっている感覚になるような声。これは、彼女のゴスペルフィーリングそのものから来ているのだと、すぐにわかります。

次回は、彼女の経歴にも少し触れていきたいと存じます。

by Shinshi


PS:
今日は、午後から夜まで私が所属しているバンドの一つcoconutsの練習でした。で、思い出したのですが、来週8月23日(土)に新宿メモリーズでライブがあります。70~80年代のDisco&Soulにご興味ございましたら、ぜひ踊りにいらしてください。

coconuts メンバーのプロフィール(今月、更新されました)
※一応、私のプロフィールもそちらにございます。
 TOPページは上の「Link」から行けます。

〇詳細はこちら(お店のチラシより)

「マヘリアは3回も書いたのに、エドウィンは2回で終わり?」との
ご丁寧なご指摘に基づき、1日またぎましたが、3回目のEdwin Hawkinsについて書きます。

彼も代表曲はたくさんありますが、初期の動画が案外少ないので、
今日は貴重な映像をお届けします。

(To My)Father's House/The Edwin Hawkins Singers (1971)

43年前の映像ですが、結構いいグルーヴ感が出てます。

もはや伝統的なゴスペルではなくて、もうエド・サリバンショーや、
ソウルトレインといった人気番組に出てくるような雰囲気です。

このあたりから、ゴスペルがグンとコンテンポラリー側に傾いていく
のがわかります。

このElaine Kellyという女性ボーカル、力強いですね。

Edwinは白いピアノを弾いていますが、奥の方に、後に有名になる
弟のWalter Hawkins(1949-2010)が歌ってますね。
※「Thank You」などでおなじみの人です。

このHawkinsファミリーはゴスペル界の宝です。


次回は、Edwin Hawkinsの「I Need Your Spirit」について
触れてみたいと思います。

by Shinshi

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