カーク・フランクリンについて2

ここ2日で一気に涼しくなりましたね。
夏盛りの8月なのに、今日の予報は最高気温25℃とか。
ここ10年で、ちょっと聞いたことない気温ですね。
気温の変化が激しいので、みなさまもご体調にお気をつけて
ください。

さて、昨日からカーク・フランクリンについてお話してますが、
今日は彼の生い立ちについて触れてみたいと思います。

1970年、テキサス州フォートワースに生まれたカーク・フランクリンは、
まだ15歳だった母親の元で最初育てられますが(父親は不明)、未熟な母より
日常的に虐待されていたことから、3歳の時に64歳の叔母に預けられ、
育てられることとなります。この叔母が、彼のその後の人生のキーマンとなります。

叔母はアルミカンを拾って売りながら彼を育て、4歳の時からピアノを習わせて、
5歳の頃には音楽の才能に優れていることを見出し、既に7歳の時には初めて
クワイアと伴奏の「専属契約」にこぎつけるなど、彼の才能を育てていきます。

そしてなんと弱冠11歳にして、教会のゴスペルクワイアのディレクターに就任します。
しかも大人たちで構成されているクワイアのディレクターですよ!
並大抵のことではありません、相当に音楽の才能が優れていたのでしょう。

でも輝かしい幼少期の経歴も長くは続きません。
反抗期に入ったとたん、彼は非行に走りはじめ、数々のトラブルを引き起こします。
教会からも追放され、学校からも退学となり、ガールフレンドを妊娠をさせてしまう
など、次々と問題を発生させていきます。

しかし15歳の時に転機が訪れます。

不良仲間だった親友が銃で撃たれ、亡くなってしまいます。
これをキッカケに改心し、問題ある行動を反省し、叔母の援助も
をウケながら、再び教会に戻ってゴスペルを始めていきます。
ディレクターとしてクワイアを率い、曲作りやアレンジを始めた
カークは、積極的にコンサートやレコーディング活動を行っていきます。

ある時レコーディングしたThe Humble Heartsという曲が、
ゴスペル界の大物Milton Bigghamの耳にとまり、才能を見抜いた
ビッガムはカークを自分の元に来ないかと誘います。
ここから彼の人生が好転していきます。

この時、彼は20歳。

ここから彼のサクセスストーリーが始まります。

この続きはまた明日に

by Shinshi


PS:
引っ張ってないですよ(笑)。
最初の20年でこんな熱いストーリーですから、全部書いたら相当長くなっちゃいます。



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