アレサ・フランクリンについて4

昨日「アレサは結構こまめに紹介しているね」とのお声を頂戴しました。

そりゃそうですよ。だって、グラミー賞20回受賞の「超大物アーティスト」ですよ。既に生きる伝説ですから。

アレサの生い立ち・ストーリーについては、情報量も全然違いますし、思い入れも違います。まさにRespectですよ。

ということで、本日でアレサの経歴も最後になります。

さて、1967年「Respect」で初の全米1位を獲得したアレサは、その後もヒット曲を連発します。

1972年にはアルバム「Amazing Grace」をリリースし、ゴスペルとして初めてミリオンセラーとなる作品を世に出します。

彼女の代表曲をご紹介するにあたって、全米TOP10入りを果たしたシングルをざっと下記のとおり並べてみました。


1967  I Never Loved A Man (The Way I Love You) 9位
1967 Respect  1位
1967 Baby I Love You 4位
1967 (You Make Me Feel Like) A Natural Woman 8位
1967 Chain Of Fools  2位
1968 (Sweet Sweet Baby) Since You've Been Gone 5位
1968 Think 7位
1968 The House That Jack Built 6位
1968 I Say a Little Prayer 10位
1971 Bridge Over Troubled Water / Brand New Me 6位
1971 Spanish Harlem  2位
1971 Rock Steady 9位
1972 Day Dreaming 5位
1973 Until You Come Back to Me (That's What I'm Gonna Do) 3位

1985 Freeway Of Love 3位
1985 Who's Zoomin' Who 7位
1987 I Knew You Were Waiting (For Me) 1位
(with George Michael)


さて、ちょっと気づかれましたか?
1974~1984年までブランクがありますよね。

そうです。

アレサもずっと売れっ子ではなかったのです。

いわゆるディスコブームやAOR時代が到来し、ヒットに恵まれなかった時代もあったのです。

ところが、1980年以降にアトランティックからアリスタに移籍、その頃、絶頂期だったプロデューサー、ナラダ・マイケル・ウォルデンの手により、1985年にPOP路線の「Freeway Of Love」がリリースされ再び復活を果たします。さらに1987年には、ジョージ・マイケルとデュエット「I Knew You Were Waiting (For Me)」で、なんと20年ぶりの全米1位に返り咲きます。

その後、1987年にはロックの殿堂入り、その後ソウルの殿堂、ゴスペルの殿堂にも選出され、2005年には大統領自由勲章を受章、2009年にはオバマ大統領の就任式でも歌って、もはや「国民的な歌手」という不動の地位を築きます。

この経歴をつらつらと見ていると、彼女はゴスペルフィーリングの魅力をもっともポピュラーに伝えた功労者、と言えるのではないか、と思われます。

そこで、その典型として最後にご紹介するのはこの曲です。


バート・バカラックの超有名な曲のカバーですが、彼女が歌うとなんとなくゴスペルに聴こえるから不思議です。コール&レスポンス風に聴こえてきませんか?
このアレンジ、ゴスペルには非常に勉強になります。


ちなみに、アレサはまだ来日したことがありません。
なぜなら飛行機恐怖症なのです。仲の良かったオーティス・レディングが1967年に飛行機事故で亡くなってから、彼女はどんなに遠くても、鉄道や車・船で移動するようになった、というのは有名な話です。なので、アメリカ大陸内(アメリカ・カナダ・メキシコなど)のライブがほとんどです。

私たちが生でライブを見るには、アメリカ大陸に飛ぶしかないようです。

では、ちょっと行ってみましょうか(笑)。


by Shinshi


PS.
北海道に滞在中は、ずっとスマホでブログ更新しているのですが、このくらいの長文は結構厳しいですね。

もっとも、こちらのブログをご覧の皆様から「もっと文章を短くできないのか」とも言われそうですが(笑)。



コメント
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