アレサ・フランクリンについて3

東京は雨模様のようで大変ですね。こちらは北海道に入って4日目ですが、おかげさま毎日晴れて涼しい日々です。道端では、すすきが風に吹かれて揺れており、夜には、時折こおろぎが鳴いてます。もうすでに秋の装いが始まっているここ北海道です。

さて、アレサ・フランクリンの経歴のご紹介、昨日は幼少期から14歳のレコードデビューまでお伝えしましたが、彼女もここで終わっていたら、今のようなQueen of Soul的な地位は築いていなかったでしょう。続きのお話です。

デビュー時のアレサは、契約したコロムビアレコードの方針から、当時流行りのジャジーなポップ路線で売り出そうとし、彼女の持ち味であるゴスペルフィーリングを抑えるように言われます。しかし、これが全く泣かず飛ばずの状況を招いてしまい、彼女も苦悩の時代を過ごします。

コロムビアを解約されたアレサに目をつけたのが、アトランティックレコードの副社長ジェリー・ウェクスラーでした。

彼は既にアレサのゴスペルフィーリングの才能を見抜いており、既に14歳の時のレコード(ゴスペルソング)を聞いていたジェリーはSoul路線への転換を打ち出します。彼女の武器であるゴスペルフィーリングを全面的に出したパワフルで迫力あるsoul。これが当たります。

1967年、アトランティック移籍第一弾の「I Never Loved A Man」が全米9位のヒットとなり、さらに次にシングルカットされたオーティス・レディングのカバー「Respect」が念願の全米1位となり、不動の地位を築きます。



ここからアレサの快進撃が始まります。

やはりこのパワフルで、小気味良いリズム感がアレサの魅力ですね。

by Shinshi



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